三年前に祖母を亡くした時、我が家は昔ながらの一般葬を執り行いました。斎場には祖母の知人や近所の方々がひっきりなしに訪れ、父は喪主として、その対応に追われ続けていました。悲しむ暇さえなく、ただただ頭を下げ続ける父の背中が、私の脳裏には焼き付いています。その父が、先月、静かに息を引き取りました。生前の父は、「俺の時は、家族だけでいい。静かに送ってくれ」と、常々口にしていました。私たちは、その遺志を尊重し、父の葬儀をごく内輪だけの「家族葬」で執り行うことに決めました。通夜の当日、私たちが斎場に入ったのは午後四時。一般葬の時のような、慌ただしい準備はありませんでした。祭壇には、父が好きだった山の写真が飾られ、静かな音楽が流れています。参列者は、私たち家族と、数名の親しい親戚だけ。受付の喧騒も、ひっきりなしに鳴る電話もありませんでした。通夜式が始まるまでの二時間、私たちは、父が眠る棺のそばに集まり、ただ静かに、父との思い出を語り合いました。母が、父との馴れ初めを、少し照れながら話してくれました。私が、幼い頃に父と釣りに行った話をし、弟が、反抗期の頃に父と大喧CACFた話をして、みんなで泣きながら笑いました。それは、弔問客への対応に追われていた祖母の時には、決して持てなかった、濃密で、温かい時間でした。午後六時からの通夜式も、厳粛な中にも、どこか家族だけの温かい空気が流れていました。翌日の告別式も同様です。お花入れの儀では、一人ひとりが、父の顔を見ながら、時間を気にすることなく、最後の言葉をかけることができました。私は、父の胸元に、一緒に登る約束をしていた山のパンフレットを、そっと置きました。家族葬は、確かに、父の社会的な繋がりを断ち切ってしまう、少し寂しいお別れの形だったかもしれません。しかし、残された私たち家族にとっては、社会的な儀礼や時間に追われることなく、純粋に父という一人の人間と向き合い、その死を心で受け止めるための、かけがえのない時間を与えてくれました。父が望んだ「静かなお別れ」とは、きっと、こういう時間のことを言っていたのだろうと、今、心からそう思います。