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家族葬の場合引き出物は必要か
ごく近しい身内だけで故人を見送る「家族葬」。参列者が限られているこの形式の葬儀において、「引き出物は用意すべきなのだろうか」と悩むご遺族は少なくありません。結論から言えば、たとえ家族葬であっても、香典をいただいた場合には、そのお返しとして「引き出物(香典返し)」を用意するのが基本的なマナーです。家族葬は、あくまで葬儀の規模が小さいというだけであり、弔意を示してくださった方への感謝の気持ちを省略して良い、ということにはなりません。ただし、家族葬における引き出物の考え方は、一般葬とは少し異なる側面があります。家族葬では、事前に参列者に対して「ご香典ご供花は固くご辞退申し上げます」と、香典を辞退する旨を明確に伝えているケースが多くあります。この場合、参列者は香典を持参しないため、そのお返しである香典返し(引き出物)も、当然ながら用意する必要はありません。この形が、ご遺族と参列者、双方の負担を最も軽減できる、家族葬の理想的なスタイルと言えるかもしれません。しかし、たとえ香典を辞退する旨を伝えていても、「それでも、せめてこれだけは」と、故人への想いから香典を持ってきてくださる方もいらっしゃいます。そのような場合に備えて、念のため、少数の引き出物(香典返し)を予備として準備しておくと、非常にスマートな対応ができます。急な対応で慌てないためにも、三千円程度のカタログギフトなどを五つから十つほど用意しておくと安心です-。では、香典を辞退せずに、家族葬で香典を受け取る場合はどうでしょうか。この場合は、一般の葬儀と同様に、いただいた香典に対するお返しが必要です。参列者がごく少数で、いただく香典の額もある程度予測できるため、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、後日、それぞれに合った品物を「後返し」で送るのも、非常に心のこもった丁寧な方法です。もちろん、一般葬と同じように、当日に「即日返し」として一律の品物をお渡ししても、全く問題ありません。家族葬における引き出物の要不要は、ご遺族が香典を受け取るかどうか、という点に尽きます。感謝の気持ちをどのように示すのが、自分たちの家族にとって最も誠実な形なのか。それを考えることが、引き出物の有無を決める上での、最も大切な指針となるのです。
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葬儀の予約とは何をいつ予約するのか
大切なご家族が亡くなられた直後、ご遺族は深い悲しみの中で「葬儀の予約」という現実に直面します。しかし、この「予約」という言葉が具体的に何を指すのか、正確に理解している方は少ないかもしれません。葬儀の予約とは、単に葬儀会社を一つ選んで依頼する、という単純なものではありません。それは、故人様を滞りなくお見送りするために不可欠な、複数の要素を、極めて短い時間の中で確保していく、非常に複雑で緻密なプロセスなのです。このプロセスで予約が必要となる対象は、主に四つあります。第一に、そして最も重要なのが「火葬場」の予約です。日本の法律では、ご遺体は必ず火葬しなければならず、火葬場の予約が取れない限り、葬儀の日程は一切決まりません。第二に、通夜や告別式を執り行う「斎場(式場)」の予約。第三に、読経などをお願いする「宗教者(僧侶など)」のスケジュール確保。そして第四に、これら全ての手配を代行し、儀式全体をプロデュースしてくれる「葬儀会社」との契約です。これらの予約は、それぞれが独立しているのではなく、全てが密接に連動しています。例えば、火葬場の予約が取れても、その日時に宗教者の都合がつかなければ、日程は成り立ちません。斎場が空いていても、火葬場が満杯では意味がないのです。そして、これらの予約手続きは、ご逝去後、まさに一刻を争うタイミングで開始されます。特に、人口が集中する都市部では、火葬場の予約は秒単位の争奪戦となることも珍しくありません。ご遺族が動揺している中で、これらの複雑な調整を自ら行うのは、精神的にも物理的にもほぼ不可能です。だからこそ、信頼できる葬儀会社を迅速に決定し、パートナーとしてこれらの予約手続きを代行してもらうことが、後悔のないお別れへの、最初の、そして最も重要な一歩となるのです。葬儀の予約とは、故人の旅立ちの日時と場所を確定させる、厳粛で責任の重い手続きそのものなのです。
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家族葬の基本的なタイムスケジュール
近年、葬儀の主流となりつつある「家族葬」。ごく近しい身内だけで故人様を心静かに見送るこの形式は、一般葬と比べてどのような時間の流れで進められるのでしょうか。儀式の内容自体は伝統的な葬儀と大きく変わりませんが、時間の使い方には家族葬ならではの特徴があります。ここでは、二日間にわたって執り行われる、最も一般的な家族葬のタイムスケジュールをご紹介します。まず一日目は「お通夜」です。ご遺族や親族は、式の始まる二時間から三時間前、おおむね午後三時から四時頃には斎場に入ります。そこで葬儀社の担当者と祭壇の設営や返礼品の確認といった最終的な打ち合わせを行い、宗教者への挨拶などを済ませます。一般葬と大きく異なるのは、ここからの時間の使い方です。家族葬では、参列者が限定されているため、ひっきりなしに訪れる一般弔問客への対応に追われることがありません。そのため、式の開始までの時間を、故人様のそばで、家族水入らずで静かに過ごすことができます。午後六時頃、定刻になると通夜式が始まります。読経と焼香が中心となり、一時間程度で閉式となります。その後、「通夜振る舞い」の席が設けられますが、これも身内だけのアットホームな雰囲気の中で、故人様の思い出を語り合いながら食事を共にする、温かい時間となります。翌日は「葬儀・告別式」です。ご遺族は朝九時頃に斎場へ集合し、準備を始めます。午前十時頃から告別式が開式となり、読経や焼香、そして故人様との最後のお別れである「お花入れの儀」へと進みます。ここでも、一般会葬者がいない分、一人ひとりが時間をかけて、ゆっくりと棺にお花を手向け、最後の言葉をかけることができます。その後、出棺し、火葬場へと向かいます。火葬、収骨を終え、斎場に戻って繰り上げの初七日法要と「精進落とし」の会食を行うという流れは一般葬と同様ですが、すべての儀式が終了するのは、午後三時から四時頃が目安です。家族葬のタイムスケジュールは、儀式そのものの時間よりも、弔問対応に割く時間が圧倒的に少ないのが特徴です。その結果生まれた心の余裕と静かな時間が、故人様と深く向き合うための、かけがえのない価値となるのです。
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葬儀で本当に気にするべきは友引だけ
六曜の中で、葬儀の日程を決める上で、唯一、現実的な影響を及ぼし、誰もが気にしなければならないのが「友引」です。しかし、その理由は、多くの人が信じている「友を引く」という迷信そのものにあるわけではありません。では、なぜ友引の葬儀は避けられるのでしょうか。その真実と、現代の葬儀スケジュールとの密接な関係を解説します。まず、多くの人が信じている「友引に葬儀を行うと、友が冥土に引かれる」という考え方は、仏教とは無関係の、単なる語呂合わせから生まれた迷信です。本来、「友引」は「共引」と書き、勝負事で引き分けになる日、という意味でした。良いことも悪いこともない、平坦な日だったのです。それが、いつしか「友引」という字に変わり、「友を引く」という俗信が広まってしまいました。宗教的な観点から言えば、友引に葬儀を行うことに何の問題もありません。実際に、浄土真宗など一部の宗派では、迷信に惑わされるべきではないとして、友引を全く気にしません。しかし、現実問題として、友引の日に葬儀・告別式を行うことは、ほとんどの地域で不可能です。その最大の理由、そして唯一の理由と言っても過言ではないのが、「多くの火葬場が、友引を休業日と定めているから」です。これは、葬儀を執り行う側の慣習として、「友引の葬儀は避けたい」という社会的なニーズに応える形で、火葬場の運営スケジュールが組まれてきた結果です。告別式の後には必ず火葬が行われます。その火葬場が休みなのであれば、物理的に告別式を執り行うことはできません。つまり、私たちは迷信を信じているからではなく、インフラ側の都合によって、友引の葬儀を避けている、というのが実情なのです。ただし、注意したいのは、避けられるのはあくまで「告別式」と「火葬」であるという点です。「通夜」は、故人と最後の夜を過ごす儀式であり、お別れの儀式とは意味合いが異なるため、友引の日に行っても全く問題ありません。例えば、友引の日にお通夜を行い、翌日の大安や赤口に告別式を行う、という日程は、ごく一般的に組まれています。このように、六曜の中で葬儀の日程に直接的な影響を与えるのは、実質的に「友引」だけです。大安や赤口、仏滅といった他の日柄は、基本的には気にする必要はない、と覚えておくと良いでしょう。
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私が新入社員の時に犯した供花の失敗
私が社会人一年目の総務部に配属されたばかりの頃、今思い出しても顔から火が出るような、大きな失敗を犯したことがあります。それは、ある部長の奥様が亡くなられた際の、供花の手配での出来事でした。当時の私は、まだ右も左も分からず、上司から「〇〇部長の奥様が亡くなられたから、会社として供花の手配をしておいて」と、簡単な指示を受けただけでした。私は、マニュアルを片手に、まずは葬儀が行われる斎場を調べ、次に、いつも会社で利用している近所の生花店に、電話で注文を入れました。「株式会社〇〇の名前で、お悔やみのお花を一つお願いします」。今思えば、この時点で、私の失敗は始まっていたのです。電話を切った後、私は一つの疑問に気づきました。「あれ、お葬式の宗教って、確認しなくてよかったのかな?」。不安になった私は、上司に恐る恐る尋ねました。すると、上司は呆れた顔でこう言ったのです。「君は、葬儀社に連絡したのか?」「いえ、いつもの花屋さんに…」「馬鹿者!葬儀の花は、全体の統一感を出すために、葬儀社が一括で取りまとめているのが普通なんだ。勝手に別の花屋から持ち込んだら、ご遺族や葬儀社に迷惑がかかるだろう!」。私は、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。慌てて生花店にキャンセルの電話を入れ、次に、葬儀社の連絡先を部長に確認し、改めて注文を入れ直しました。葬儀社の担当の方は、非常に丁寧に対応してくれましたが、その電話口の向こうで、私がどれほど無知で非常識な担当者だと思われたことか。さらに、その電話で「宗教は仏式ですか、キリスト教式ですか」と尋ねられ、私はまたも言葉に詰まりました。結局、再度部長に確認する羽目に。たった一本の供花を手配するのに、私は一体どれだけ多くの人に迷惑をかけてしまったのでしょうか。この経験は、私にとって苦い教訓となりました。仕事とは、ただ言われたことをこなすのではなく、その背景にある慣習や、関係者への配-慮を想像する力が必要なのだと。そして、分からないことは、自分で勝手に判断せず、必ず確認すること。あの日の失敗がなければ、私は今も、葬儀の花を近所の花屋に頼むような、恥ずかしい社員のままだったかもしれません。
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誰が亡くなったかで変わる供花の対応
会社として供花を贈る際、その対応は「誰が亡くなったか」によって、名義や金額の相場、そして手配の判断が異なってきます。会社の慶弔規定などに定められている場合もありますが、一般的なケースとして、その違いを理解しておきましょう。まず、最も手厚い対応となるのが「自社の役員や社員本人が亡くなった場合」です-。この場合、会社は遺族と共に故人を見送る、準主催者のような立場にもなります。供花は、会社名と代表取締役の氏名を連名で記した、最も格の高いものを一基、あるいは一対(二基)贈るのが一般的です。金額の相場も、一基あたり一万五千円から三万円程度と、比較的高額になります。社長名で弔電を打ち、社長や役員が直接葬儀に参列し、香典も会社として用意します。生前の功績に報い、会社として最大限の弔意を示すための対応です。次に、「社員の家族が亡くなった場合」です。この場合は、社員への福利厚生という意味合いが強くなります。対象となるのは、一般的に社員の配偶者、子供、そして社員本人または配偶者の両親(一親等・二親等)までとされることが多いです-。供花の名義は、「株式会社〇〇」のように、会社名のみとするのが一般的です。これは、あくまで社員個人を支えるための供花であり、会社が前面に出過ぎないように、という配慮からです。金額の相場は、一基あたり一万円から二万円程度となります。この場合も、会社として香典を用意し、所属部署の上長などが代表して参列することが多いです-。そして、「取引先の役員などが亡くなった場合」です。これは、企業間の儀礼的なお付き合いとしての側面が強くなります。供花の名義は、会社名と代表取締役の氏名を併記します。相手企業との関係性の深さによって、対応は大きく変わります。非常に重要な取引先であれば、自社の役員が亡くなった場合に準じた手厚い対応をしますが、一般的な取引先であれば、供花のみ、あるいは弔電のみで済ませることもあります。どのケースにおいても重要なのは、社内での対応に不公平感が出ないよう、一定のルールを設けておくことです。そして、そのルールに則りつつも、個々の状況に応じて、温かい心を持って対応する。そのバランス感覚が、企業の品格を形作るのです。
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一日葬という家族葬のタイムスケジュール
家族葬の中でも、近年特に注目を集めているのが、通夜を行わず、告別式から火葬までを一日で執り行う「一日葬」という形式です。ご遺族や参列者の負担をさらに軽減できるこのスタイルは、どのようなタイムスケジュールで進められるのでしょうか。その具体的な時間の流れを理解しておきましょう。一日葬では、参列者が斎場に集まるのは、告別式の当日のみです。しかし、ご遺族にとっては、その一日が非常に凝縮された、慌ただしい一日となることを覚悟しておく必要があります。まず、ご遺族や近しい親族が斎場に集合するのは、告別式の開式時刻のおよそ二時間から三時間前、午前八時から九時頃が一般的です。この朝の早い時間に、葬儀社の担当者と当日の流れについて最終的な打ち合わせを行います。祭壇の設営や供花の確認、返礼品の準備、宗教者への挨拶など、二日分の準備をこの短い時間で済ませなければなりません。午前九時半頃から、参列者の受付を開始します。そして、午前十時または十一時頃、定刻になると告別式が開式となります。ここからの流れは、基本的に一般の葬儀の告別式と大きくは変わりません。僧侶による読経、焼香、そして故人様との最後のお別れをする「お花入れの儀」へと進みます。告別式全体にかかる時間は、おおむね一時間から一時間半程度です。式が終了すると、喪主が参列者への謝辞を述べ、棺は霊柩車へと運ばれ「出棺」となります。正午頃に火葬場へ向けて出発し、火葬場での最後のお別れの後、火葬となります。火葬と収骨にかかる時間は、約二時間です。この一日葬のスケジュールで、ご遺族が選択を迫られるのが、火葬後の流れです。火葬が終わった後、そのまま現地で解散とするケースも少なくありません。これにより、儀式全体が午後二時から三時頃には終了し、遠方からの参列者も日帰りが可能になります。もし、繰り上げの初七日法要や、会食の席である「精進落とし」を行う場合は、火葬場から斎場やお寺、あるいは近くの料亭などに移動して、さらに二時間から三時間程度の時間が必要となります。通夜という故人とゆっくり過ごす夜がなくなる分、一日という限られた時間の中で、いかに心を込めてお別れをするか。そのための事前の準備と心構えが、一日葬を成功させる鍵となるのです。
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大安の葬儀は避けるべきなのか
「大安」と聞くと、私たちはすぐに「結婚式に最適な日」「何をするにも良い吉日」というイメージを思い浮かべます。六曜の中で最も縁起が良いとされるこの日に、おめでたい行事を執り行うのは、日本の文化として深く定着しています。では、その正反対の儀式である葬儀を、大安の日に行うことは、果たして許されるのでしょうか。縁起の良い日にお葬式なんて、不謹慎ではないか。そう考える方も少なくないかもしれません。結論から言えば、大安の日に葬儀を執り行うことは、全く何の問題もありません。前述の通り、六曜と仏教は無関係です. 仏教の教えには、日の吉凶を問う考え方自体が存在しないため、宗教的な観点からは、大安に葬儀を行うことを禁じる理由は一切ないのです。人の死は、日柄を選んで訪れるものではありません。ご遺族や親族、そして火葬場の都合がつく日が、たまたま大安であったというだけのことです。むしろ、仏教的な解釈をすれば、「大いに安し」と書く大安の日に、故人が安らかに旅立ち、残された家族も滞りなく儀式を終えられることは、故人にとっての「良い日」であるとさえ言えるかもしれません。しかし、現実的な問題として、ご年配の親族や、地域の慣習を重んじる方々の中には、「大安に葬儀なんて」と、良い顔をしない方がいらっしゃる可能性もゼロではありません。もし、ご遺族の中でそうした懸念が強い場合は、親族間でよく話し合い、あえて一日ずらすといった配慮が必要になることもあるでしょう。ただし、近年では、こうした六曜の迷信を気にしないという考え方が社会全体で主流になってきています。火葬場の予約状況が非常に混み合っている都市部などでは、日柄よりも、とにかく予約が取れる日を最優先せざるを得ない、という現実的な事情もあります。葬儀の日程を決める上で最も優先すべきは、六曜の吉凶ではありません。故人を心静かに見送りたいというご遺族の気持ちと、参列してくださる方々の都合です。もし、周囲から何か言われたとしても、「お寺様にも確認しましたが、全く問題ないとのことでした」と、毅然とした態度で説明すれば、ほとんどの場合は納得していただけるはずです。
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六曜を気にしないという選択
父の葬儀の日程を決める際、葬儀社の担当者から「火葬場の予約が取れるのは、一番早くて来週の火曜日になります」と告げられました。その日は、暦の上で「赤口」でした。母は少し顔を曇らせましたが、私は「日柄なんて、気にする必要ないよ」と、きっぱりと言いました。なぜなら、生前の父が、そうした迷信や占いを一切信じない、非常に合理的な人だったからです。父は、「人間の運命は、暦が決めるんじゃない。自分自身の行動が決めるんだ」と、常々口にしていました。そんな父の葬儀を、根拠のない暦注に振り回されて、さらに先延ばしにするなんて、それこそ父に対して失礼だと、私は思ったのです。もちろん、親戚の中には、日柄を気にする年配者もいました。案の定、叔母の一人から「赤口なんて、縁起の悪い日にしなくても」という電話がかかってきました。私は、叔母に対して、父が生前どのような考え方の人間であったかを丁寧に説明しました。「お父さんならきっと、そんなことより、みんなの都合がつく日に、早く送ってくれって言うと思うんです」。そして、「お寺様にも確認しましたが、仏教では日の吉凶は全く関係ないそうです」と付け加えました。私のその言葉に、叔母も最後には納得してくれました。葬儀当日、私たちは赤口の日に、父の告別式を執り行いました。父の好きだったジャズを流し、趣味だったカメラを飾り、父らしい、温かい雰囲気の中でのお別れができました。もし、あの時、私たちが日柄を気にして、さらに日程を延ばしていたら、遠方から来てくれた親戚に、もっと大きな負担をかけていたかもしれません。そして、父の遺志に背くことになっていたでしょう。六曜を気にするか、しないか。それは、最終的には、その家族の価値観が決めることです。地域の慣習や、親族の気持ちを尊重することも、もちろん大切です。しかし、それ以上に大切なのは、故人がどのような人生を送り、何を大切にしていたかを、残された家族が真剣に考えることではないでしょうか。私たちの場合は、「六曜を気にしない」という選択こそが、父への最大の敬意の表れだったと、今でも信じています。
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なぜ友引の火葬場は休みなのか
「友引の葬儀は縁起が悪い」。この言葉は、多くの日本人にとって、半ば常識として受け入れられています。しかし、その根拠が仏教とは無関係の迷信であるにもかかわらず、なぜ全国の多くの火葬場が、今なお友引を休業日としているのでしょうか。そこには、単なる慣習という言葉だけでは片付けられない、日本の社会構造や、葬儀業界の事情が複雑に絡み合っています。最大の理由は、やはり「社会的な需要がない」という点に尽きます。たとえ迷信であっても、長年にわたって「友引の葬儀は避けるべきもの」という意識が社会に浸透してしまった結果、ご遺族や参列者の側が、友引の葬儀を心理的に避ける傾向が定着しました。葬儀を執り行う側も、わざわざ縁起が悪いとされる日に儀式を提案することはありません。その結果、友引の日には、葬儀の施行件数が極端に少なくなる、という現象が起きます。火葬場は、その運営に多くの人員と莫大なエネルギーコストを要する施設です。需要がほとんど見込めない日に、わざわざ火葬炉を稼働させ、職員を配置するのは、経営的に非常に非効率です。それならば、その日を職員の休日とし、他の曜日に稼働を集中させた方が、はるかに合理的である。このような経営判断から、多くの公営・民営の火葬場が、友引を休業日として設定しているのです。つまり、迷信が需要を生み、その需要のなさが、供給側である火葬場の運営スケジュールを決定している、という構図です。このサイクルは、非常に強固なもので、一部の火葬場が友引に営業したとしても、葬儀自体の件数が少なければ、状況は変わりません。また、火葬場で働く職員の労働環境を確保するという側面もあります。年中無休で稼働するのではなく、友引という定期的な休日があることで、職員は計画的に休息を取ることができます。近年では、火葬場の混雑緩和のために、友引でも営業する火葬場が少しずつ増えてきてはいます。しかし、社会全体の意識が大きく変わらない限り、友引が葬儀スケジュールにおける「特別な曜日」であり続ける状況は、今後も続いていくことでしょう。